衣川晃弘大先生の見聞会講話集「21世紀を幸せに生きる」第13巻より
2020年(令和2年)9月27日 ベストグループ関東一日研修 ②
私が社会に出た頃は、道徳や命の大切さを学んだ若者が多かったので、能力をとても発揮した方が多かったのです。ちょうど東京オリンピックの後で、それから日本は経済大国になっていったのです。
我々の青年時代は、不平、不満や愚痴(ぐち)なんて言ったら蹴飛ばされる時代でした。当時、ネガティブ、否定的な方は、十名のうち二人くらいしかいませんでした。十名のうち七~八名はポジティブだったと思います。
我々は道徳や命の大切さを教わったので、社会に出ても能力を発揮できたのです。失敗しても失敗しても、チャレンジ精神を教えられたのです。「失敗するということは、強い人間になるチャンスだ」とか、「できないと言うな」と教えられたのです。
私は幼少期から「ボーイズ・ビー・アンビシャス。少年よ大志を抱け。晃弘、大きくなったら社会や人のお役に立つ人間になりなさい」、「晃弘、思いは実現する。悪いことを思ったら、悪いことが実現するぞと父から教えられました。
素晴らしいことを思ったら、素晴らしいことが起こるぞ」、「努力に勝る天才はなし。天が与えた才能は努力だ。良い努力をした者には敵わんで」、「成せばなる、成さねば成らぬ何事も、成らぬは人の為(な)さぬなりけり。
やろうと思ったらできるのだ。もしもできないとしたら、本当に思わないからだ。本当に思ったことは実現するのだ」と教えられたのです。父は貧乏で、夜逃げばかりしていました。しかし、私は父が大好きだったから、父の言うことは疑わなかったのです。
だから、今でも私は「できない」と言う人、努力しない人を見ると、叱りたくなるのです。なぜなら、「できない」と言ったら、それで終わりではないですか。「できない」ということは、チャレンジして「できる」ようになるチャンスではないですか。
失敗しても失敗しても、チャレンジするから力が付いてくるのだと思っています。私も気がついたら七十六歳になりました。歳は放っておいても取るものです。しかし、自分の人生を素晴らしくするには、放っておいてできるでしょうか。
私は自分の人生を素晴らしいものにするために、とても努力をしてきたと思います。私もあなた方と同じように、「幸せとは一体何だろうか」といつも考えてきたのです。
私は二十七歳から四十八年間経営をさせていただいていますが、人生のほとんどで良いことばかりを経験しています。四十八年間のうち六年だけ良くない経験をしております。
あまりにも良すぎた経験が三年です。あまりにも良すぎて、人格がおかしくなったのです。あまりにも悪すぎた経験が三年です。それ以外は、想像以上に素晴らしいことを経験させていただきました。
私は、三十五歳で三つ目の会社(資本金一千万円)を作らせていただいて、あっという間に訪問販売業でトップクラスにならせていただきました。一人から始めた会社が、たった丸三年で五千四百名が働いてくださる会社になりました。
とてもやり手の方々が、たくさん働いてくださいました。ポジティブで前向きで、「社会や人のお役に立ちたい」という方がたくさん働いてくださいました。その結果、売上は今のお金で百億円を突破させてくださいました。
人間の力では、そのようなことはできません。当時の私は、心が浄(きれ)いだったと思います。妻に「僕には何の力もない。これは見えない力が働いている」と言ったことがあるのです。
しかし四年目に欲が出て、一千億円の売上にチャレンジしたのです。資本金はたった一千万円で、無借金でした。
それまで「見えない存在のお陰様です。働いて下さる方々のお陰です。妻のお陰です」と言っていたのに、「俺は偉い」と思ったとたんに人格が破綻して、四十一歳から四十三歳にかけて会社が潰れかけたのです。そのため、会社のお金を全部無くしました。
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